2017年御翼10月号その2

                         

日本の大学で初めて、授業を日本語で行った早稲田大学

 日本の大学で初めて、ほとんどの授業を日本語で行ったのは早稲田大学(1882年創立の東京専門学校)であったという。ほぼ同じ頃創立した東京大学では、日本人教官の養成が進んでいなかったため、欧米人教師による、英米語での講義が一般的であった。早稲田大学の建学の精神は「学の独立」であるが、それは、「日本の学問の独立」という意味だという。日本人が徹底して学問的真理の探究するためには、講義は母国後の日本語でしなければならない、と創立者の大隈重信がこだわったのだった。
 日本人のノーベル賞受賞者は、2000年以降だけでも既に10人を数えており、化学、物理の分野は強い。対して中国は過去全て数えても5人、韓国は平和賞の金大中のみである。同じアジアであってこの差があるのは、母国語で学問をするという点も大きい、とある人がネット上で指摘している。基礎科学、特に物理学のような、物質界の作動原理を研究する分野は、深く、独創的な思考が重要である。日本では、初等・中等過程から大学に至るまで、科学を日本語で教える。漢字文化圏(日本、中国、韓国など)で使われている「科学」「化学」「物理学」などの用語自体が、日本の知識人たちによる翻訳の所産であり、「素粒子」「陽子」「電子」などの用語も、すべて日本人が作ったものであるという。対して、中国・韓国では、物理・化学・生理学などの基礎分野に英語教材が使われる。そうなると、基礎分野を学ぶときに、母国語に込められているイメージや感覚が働かない。つまり、日本というのは、外国の優れた知見、技術、文化等を、何でも自分達が理解しやすいように、使いやすいように、まず自分達の言語に翻訳してしまう。それが日本の深い思考を促す基点になっているというのだ。
 日本語による授業にこだわった早稲田大学創立者・大隈重信は、第8代、第17代内閣総理大臣を務めた明治、大正の政治家でもあった。大隈はクリスチャンではなかったが、佐賀藩の役人をしていた頃、長崎でアメリカ人宣教師フルベッキから「新約聖書」と「アメリカ憲法」を学び、アメリカ憲法の「アメリカ独立宣言」に多大の興味を持つ(「すべての人間は(創造主によって)平等につくられている」)そして、神によって創造された人間が持つ人権を守るような、独立した人格を形成するために、一八八二年、東京専門学校(早大の前身)を創立した。すると彼の政敵は、大隈は政治的な子分を養成するために学校を創ったと非難する。そして開校早々、多くの講師が政敵による嫌がらせを受け、去っていった。教員不足になった学校は、同志社大学出身で新島襄の門下だった四人のクリスチャンたちを教授として招き、早稲田大学の土台が作られた。大隈は新島襄がキリスト教主義の同志社大学を設立する時、手を貸していたのだった。大隈は私利私欲を捨てて学校を創立し、多くのクリスチャンたちと助け合いながら、建学に励んだのだった。神によって創造された人間が持つ人権を守るような、独立した人格を形成するために大学を作りたい、という大隈の発想に対して、常に神の備えがあった。道は向こうから開けてくるのである。
志村和次郎『新島襄と私立大学の創立者たち』(キリスト新聞社)

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